何気ない捨て牌が、勝敗を大きく変えることも。麻雀での勝利体験から、思わぬドラマと一打の重みをお伝えします。
30歳(当時)男、対人麻雀で無双モードを体験する
今から10年以上前の話です。
日勤と夜勤が交互に来るシフトで工場機械のオペレーターとして働いていた、当時の私。
その頃は麻雀にのめり込んでいて、腕は未熟ながら隣町の手頃な雀莊に通い詰めていました。
いわゆる”点2”のレートで、勝っても負けても電車賃が浮く程度。
ですがこのあたりの愛好者には、小額で楽しむ年配のベテランやプロ級の純粋なファン層もいるので、学ぶことも多かったのです。
夜8時から翌朝8時までの夜勤を終えると、仮眠も食事もとらず、着替えてすぐにその雀莊へ。
電車で40分、駅から徒歩15分のその店は、学生から高齢者までいつも賑わっていてメンツには事欠くことがありません。
その中で私の成績は、勝ったり負けたりトータルではほぼイーブン。
だいたいいつもは、ハウツー本で学んだ内容を思い出しながら打つのですが……
時々、信じられないような不思議な出来事が起こりました。
ほぼ休憩を挟むことなく、午前10時頃に入店してから午後8時近くまで、ノンストップで打つ麻雀。
しかも夜勤明けで寝ていないにも関わらず、です。
眠気は全くないのですが、思考能力が適度に弱まり「余計なことを考え過ぎずに打てる」のが好きで、こうした無茶をしていました。
「(この配牌ならこのアガリ形が理想、あれをツモったらこれを切ろう…)」
そんな予定をある程度立てながら打つのが普通ですが、考えるのがもう面倒になってしまい、いつしか手なりの即切りになってゆく。
考えるより早く手が勝手に動く、そんな状態が訪れる時があるのです。
「そんないい加減な打ち方では、好結果など出るはずがない」
麻雀を知っている人なら、こんな風に考えるのではないでしょうか?
しかし、そうではなかったのです。
まず配牌の13(親なら14)枚、これを一目見ただけで捨て牌にもう指がかかるのです。
そして第一ツモ牌を拾ってくると、「次に切られるべき牌がチラチラとこちらを見ているような感覚」に捉われ……
本当にまったく何も考えず、牌効率はもちろんトイツ場・シュンツ場の読みすら記憶から消え去ったような状態。
しかし手を進めてみると、いつの間にか最高の形でテンパイしており、しかもきっちりツモアガってしまうのです!
不思議なことに安手はまったくありません。
アガればほぼ満貫以上、「リーヅモタンピン三色」のハネマンあたりもバンバン飛びだし、東北回しの1ゲームで10万点(ハコなしルール)くらいの大勝も何度かやっています。
漫画などでよく、「切る牌が光って見える」などというオカルトめいた演出がありますよね?
あれがまさに、自分の身に起こったような状態だったのです。
こうした不思議な「無双モード」「天の導き」とでも言うべき現象、実は麻雀を覚えたばかりの高校時代から時々体験していました。
そしてこの現象は、じっくり考えながら打つ理論派タイプよりも、勘や勢いで打つような感覚派タイプに多いような気がします。
見たものを感じ取る能力が己の限界を越えて高まり、見た一瞬で最善手が閃くほどの領域に達した現象……
私はこう結論づけています。
なぜなら理論派は、思考ルーチンを挟まなければならないぶん時間的なロスが大きい、と思うから。
私が経験した無双モードは、考えるより感じるタイプの感覚派だからこそ起こり得る「感性の極致」のような現象ではないでしょうか。
36歳、男、マージャンで大勝ち
私は36歳の男性です。
北海道に住んでいます。
仕事は個人事業主でファンドのCEO兼現場最高責任者をしております。
私は今でこそ神通力を失いましたが、大学生の時、東京で就職したかったこともあって、東京で就職活動をしていました。
その時に麻雀で勝率38%の成績を残し、手持ちの資金を減らすことなく東京での生活を成り立たせていました。
役満をバンバン出したこともありましたし、シャンポン待ちで片方がカラでもう一方はションパイという状況で相手に1枚持たれていて最後のツモで吹き上がったりして3倍満をあがった事もありました。
正直その頃は、負ける事はありましたが怖くありませんでした。
なぜなら、自分の負けている時は限度を決め、オートマティックにやめていましたし、勝つ時は極限まで勝つというスタイルを取っていたので今日負けても大負けしなければ明日大勝ちして収支をプラスにするという事をしていました。
後悔している事があるとすれば、それはラスハンコールをかけないで「危ない」と思ったら、その半荘で「やめます」と言って即座に抜けたり、あまりにも極限まで勝ち過ぎた事、負ける時には上気した通りすぐ辞める事等を繰り返しいた事、マナーの悪さが災いし、出入り禁止になった雀荘が多いという事でした。
しかし、マナーはともかくフリー麻雀は「いつ入ってもいいし、いつ止めてもいい。
ラスハンコールを強制するのは雀荘側の傲慢」という不文律があります。
ですから雀荘側にも落ち度はあるのです。
麻雀だけにとどまらず、ギャンブルにはリスクが付きまといます。
雀荘だってそうですし、胴元は儲けがなかったら話にならないのです。
その為ゼロサム取引にはならないのです。
利食いと損切りのタイミングやオートマティックに決めてストップをかけられるようにしましょう。
それがあれば破産したり、大けがする事は無くなると思います。
また、やらないというのも一つの手です。
皆さんもギャンブルは計画的にしましょう。
30歳男性3人打ち雀荘にて
現在は30代の男性です。
当時は30になる前だったでしょうか、会社の帰りに毎日のように通っている雀荘がありました。
関西ですので3人うちのフリーです。
日々、勝ったり負けたり終電になるまで遊んでいました。
いつのまにやらすっかり常連になり、他の常連さんとも仲良く会話するくらいになっていました。
よく同卓するサラリーマン男性がいたのですが、なかなかに手ごわく、良い対戦相手でした。
お互いに手筋を探り、押したり引いたり、白熱した麻雀を繰り返していました。
ある日のこと。
いつもと同じように卓につき、牌を並べて打ち出します。
するとその日は相手の手筋が見えるのです。
繰り返し繰り返し打ったためでしょうか、相手の手牌がどの辺にどの種類が固まっているか、どんな並べ方をしているか、なんとなく感じることができたのです。
その雀荘では金の牌が混じっており、祝儀対象でした。
ある局で、序盤にその金の牌(7ソウ)がその男性から切り出されました。
その瞬間、まだ完成してもいない相手の手牌の待ちが一点読みでみえました。
間8ソウ。
その直感に従い、8ソウを無理やり残しての七対子。
3人うちでは同一牌4枚使いの七対子が認められています。
みるみる集まる8ソウ。
全ての8ソウを使い切り、その相手のリーチをかいくぐって、直撃を取りました。
ドラを絡めて跳満の手だったかと思います。
「あ、なにかが完成したな」
そんな気持ちでした。
相手は苦笑いでした。
「嫁さんより俺のこと知ってるね」
それからは、なぜか徐々にその雀荘に足が向かなくなりました。
そのゲームで完成したものを壊してしまわないよう、もう触りたくなかったのかもしれません。
その後、転勤によりその雀荘から完全に離れました。
数年後、再転勤で戻ると、同じ場所に雀荘はありましたが店は変わっており、そのお客さんもいませんでした。
完全に思い出になってしまったのだな、と少しさびしく感じました。
いまでもその時と同じ感触には至っていません。
この記事のように、さまざまなギャンブルで人生を変えた体験談をまとめたページもご用意しています。ぜひご覧ください。